2007年07月09日
奇妙な世界に踏み込んだ私の人生って・・・
オオハマのオジー編は、
まだ続きがあるんだけど
少しわたしのユタ話に
付き合ってください。
(けっこうこれまで来るのにいろいろあったんです。)
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まだ幼い頃、夜中にふと目をあけると自分のまくらもとにミイラの様な顔をしたおばあさんが、
口をパクパクさせて何か言いたげに私の顔に近づいてきた。

もう怖くて怖くて、頭からふとんをかぶって朝までずっと酸欠状態で、
ガタガタふるえて泣いた時がありました。
そのおばあさんは、度々訪れわたしのまくらもとでひざまずき、ただ口をパクパクさせて座っているだけ・・・
今でも思い出しては考えたりします。
「あのおばあさん、あの時いったい何が言いたかったんだろう・・・・・・」



つづく

2007年07月10日
P2-奇妙な世界に・・・とりつかれる恐怖
中学3年の夏 期末テストの真っ最中!
一夜づけのテスト勉強をしている時だった……
突然 胃が重くなり痛み出した。翌日、痛みは再に増しその上
はき気とひどい下痢に見まわれ、それでも根性で痛みに耐えながら学校の保健室で
テストを受けたが最終日にとうとうダウン
あえなく入院となった地獄の日々の始まり……

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ひどい脱水症状をおこし死んだほうがましだと思う程の強い痛みで1日5本もモルヒネを打ち(ほとんど中毒状態)意識も もうろうとする中 ずっと私のお腹の上にのって「ワタシのお墓を何の断りもなく壊して……」とすっごく怒った顔でブツブツ言い続けるおばあさんがいた。

最初何の事を言っているのか解らなかったけど私が入院したことで母が「何かあるのでは……」とおがみ(巡礼行)をしているおばに相談をしたところ
父が仕事でたずさわっていた工事現場には昔からのお墓があって鎮魂のおはらいもせずにそのお墓をとり壊した事からそのお墓の主の怒りをかっている……と私のおばは急いでグジョータダシ(不浄仏霊のおはらい)をしたそうです。
入院して20日も過ぎるころ、痛みも苦しみもウソの様にスゥーと引いて病状も良くなり始め、そんな頃母からその話を聞かされ「そういえばここ数日見ないけどあの怒っていたおばあさんの事かな?」などと思ったりしていた まだ何も解らないころでした……

今だから言えるけど 本当に地獄の日々で キモチわるいし ケツからは血ィ出るしモルヒネ打ちすぎてヤク中になるし、腹の上には変なばあさんのってるし、むっちゃ痛いし もう こんなん続くぐらいなら屋上から飛び降りて終わりにしょーと思い誰もいないすきを見て 点滴4本ぶら下げてエレベーターにのる程つらい日々でした……(屋上のフェンスが高すぎて「あーこりゃのぼりきれねぇな…」とあきらめました

ちなみに47kgあった体重が退院時には36kgになっていた)
とりつかれると どうなるか…の恐怖を始めて体験した年でした。
つづき
ぼく ナビゲーターのケッパ
2007年07月11日
P3-奇妙な世界に・・・遊びに行く先々でこんな目に・・・
本来ならむっちゃ はじける高校生活たが
行くところ必ず変なもの(霊)がいてせっかくのお楽しみも台無し、目があってしまったら最後つきまとってくる………
知らないフリをしても1度目が合うとおしまいで心の中の声は完全に読まれバレバレになってしまう。
バレバレなのにそれでも必死に知らないフリをすると中には怒り出す霊がいて そうなるともー大変
気もち悪くなるし頭はガンガン痛くなり しまいには熱が出る。
俗にいうイチャイカジ(霊と同調してしまうこと)である。
そんな高校生活の中でも印象に残っているのは友達の家に遊びに行って帰りの東陽バス38番のバスの中での出来事。遅い時間だったので乗っていた客は私を含め2人だけ、私は後から2番目ぐらいの足もとがタイヤの位置でもり上がった席が好きでそこに座っていた。もう一人の乗客がおりて私一人だけになってしまった……
そろそろ降りる準備を…と思いボタンを押して前の方に移ろうかと立ち上がったその時、一番後ろの席に男の人が一人立っていた 「何だ、私以外にもまだいたんだ……」と思い、もう一度その男の人にふと目をやった時、私は全身の血の気が引いていくのをはっきりと感じた。髪の毛は短いパンチパーマで、真っ赤なタートルネックのトレーナーにとび職の人が着けているようなむらさき色の作業ズボンと、たびのような長ぐつ…一見普通の職人さんだが私が驚いたのはその人の顔が透けていて、後ろのガラスの景色が見えてしまっていたからだった。
すぐに「この世の人ではない」と思い知らぬフリで何も無かったかの用に冷静に振る舞いボタンを押して前の席にそぉーっと移った。でも内心は思いっきり泣きわめいていた…

前の席に移り「どーか気づいていませんよーに…」と 祈る想いだったが気になってしょうがなく、だからと言って後ろを振り向く勇気なんてなかったから、こそっと斜め後ろに目をやると、その男の人は私のすぐ斜め後ろの席に座って真っ正面に私の顔をジッと見ていた。
もー頭ん中大パニック
バスから降りる時も「お願いだからついてこないで!!」とただ ただ祈るばかり、祈りが通じたのか、その男の人はバスに乗ったまま一番後ろの席の窓ガラスに両手をついて私を見つめながら そのまま行ってしまった……
走って家に戻り2時間もの間、身体の震えが止まらなかった。翌日、私は40度の熱を出して寝込んだ。これがイチャイカジというものかと初めて知った年でした。
つづき
ぼく ナビゲーターのケッパ
2007年07月12日
P4-奇妙な世界に・・・卒業して・・
色々ありすぎて、次第に霊が見える自分に対して
腹が立ち『だから何だっつーんだ!!』 とブチ切れ、
霊という霊達全てから目をそむけ、完全に自分から切り離すという強行手段に出た頃でした。

どのみちどこへ行こうとも、何をしていても必ずそこに霊はいる。だからといっていちいち死の無念さを語られても私には何の成す術も無く、誰かに相談しても「変な人」扱い…… 父親にさえ「一度精神病院にでも行って、診てもらったらどうだ……」 と言われる始末。。。。 そんな中、唯一の理解者は、同じ霊感をもっていた私のおばであった。彼女がいなければ私は今頃本当に病院のオリの中だったかもしれない……

沖縄ではそういう霊感を持ち、各地の御獄ウタキ(霊場)を参拝し霊力をみがき、スクシン(先祖供養や浄霊)の力をもって人を助けるノロ(巫女)にユタとか、おがみさー
とかって言うけど、信じられない人から見れば頭のイカれた人間。だから「ユタムニィ」なんてバカにしたよーな時に使う言葉がある。だからこそ私は見える霊の恐怖よりも生きている人間から白い目で見られる事にものすごい恐怖を感じた。だから見えないふりをして知らないふりをした、例え、目の前にいる人の後ろに死をもたらす程の怒霊が憑いていたとしても……… 私は堅く口を閉ざした。

私の指導霊をしていたヒメ(愛称)の言う事だけは聞き入れていた。
ヒメに宇佐浜に行けと言われれば おばに場所を習って連れて行ってもらっ
たり、伊平屋島のクマヤーガマに行けと言われれば船酔いに耐えながら海を
渡った。

霊に対して心を閉ざしていた自分だったけど何故かヒメにだけは心を許してい
た為、自分でも気付か無い内に修行は、怠る事なく続いていた。

(ヒメが口うるさかったから……カナー?) ヒメ

つづく











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