アナタは、炎の真ん中に何があるか知っていますか。

2008年01月09日

こんなメッセ-ジが、「人間は創造する事は・・・」


こんな、
メッセ-ジが届きました。

(ご本人の承諾を得て掲載いたしております)



>こんばんは、しりえいさん。

>絵についてなんですが、最近ニコニコ動画と言うサイトで
>ベクシンスキーという画家の絵を見て不思議な感じがしました。
>その時、しりえいさんの言った?
>「人間は創造する事はできない、書かされているんだよ?」という言葉を思い出しました。

>自分は絵に関しても素人なので、理解が不十分かもしれません。
>しりえいさんもこの画家の絵見た事ありますか?



これは、12月21日の記事を読んでくれた際の記事中にある
「人間には表現の自由は与えられているが、
想像する力など与えられてはいない」

という言葉に対して、想像を表現すると言われている
「芸術」が意味することに疑問を投げかけたメッセージでした☆

ベクシンスキーという画家さんは知りませんでした。
なので、ちょいと調べさせていただきました。
彼の「絵」を見て・・・・・
かなり「終末的、死の臭い、残虐的な絵を描くなー」という感想。
世界から注目されるのも納得!

というのも、「大作」と言われている芸術品には、闇の投影を表現したものが多く
人間の内にある隠された部分をどれだけ表現できるか、が批評を得る基準のようにも思えます。
ベクシンスキーが何故「死」を臭わせる絵を描くのかは
きっと彼の人生と関係しています。(芸術家は皆そーだけど・・・)

ベクシンスキーは、ポーランド出身で、第二次大戦中において
ナチスの侵略を経験しているとのこと、つまり虐殺を目の当たりに
したのではないかと思います。

それに彼は自分の妻の死、息子の死(自殺)をも経験している
愛する家族に先立たれた人です。

もし、彼の人生が私の人生であったら・・・

自分がそんな経験をしていたのなら、
きっと私も「死」を描いていたかもしれない、そう思うほど
彼はたくさんの「死人」を見てきた人間であると私は思いました。

それに彼自身の最期も「殺害」で幕を閉じています。
(2005年に自身の友人の息子に殺されました)

ベクシンスキーが描いたのは想像では無く、自分の目で見た
「現実」を描いたのだと私は思いました。

ちなみに、「人間は創造する事はできない、書かされているんだよ?」

ではなく、人間には「表現」の自由は与えられているが、
「想像」する力など与えられてはいない・・・です。

つまり、人間の脳には別の次元、別の時間、別の世界において
現実にあった出来事が全て記録されている。ということです。

「表現は自由」というのは、10人が同じ出来事を目にしたとしても、
見る角度、個々の感性によって、微妙に受け取り方が違う。
これが、与えられた表現の自由です。

故 黒沢明監督の「羅生門」という映画を見たことが あるでしょうか?
あれが、表現の自由の意味ををあらわした作品です。

余談ですが、
(故 黒沢明監督はある日の夜、夢を見たそうです。草原の中に座っていた自分の側に
阿修羅が寄って来て、何も言わずへんてこな踊りを踊っている。という夢。
そして、目が覚めて思いついたのがこの「羅生門」という映画作品だったそうです)

簡単に言うと、絵画、演劇、音楽、映画、ドラマ、アニメ芸術という分野において、
この世界に存在しないものに人間は 空想、想像、夢想「在りもしないもの」という
言い方をしますが、
私に言わせて見れば、今いる人間が、まだそれを説明出来ないだけです。

けれども、この先の未来において魂、霊魂、カルマ、宇宙、時間の仕組について
全て解明される時代が来ます。
その時、想像、空想という言葉はこの世界から消えます。

前の記事でも述べましたが、私達人間の脳の中には「万物の答え」が元々備わっているからです。

「在りもしないものの証明がされる時代」が未来にあります。

なので私は、絵画、イラスト、漫画、アニメ、映画、ドラマ、演劇、音楽
今現在、想像の世界を表していると言われている「芸術」は、
全てにおいての「事実」をあらわす方法なのだと 文殊菩薩に教えてもらいました。

つまり、頭に思い浮かぶ「現実には存在しないもの」は実は、
別の時間、別の宇宙空間では「現実に、存在しているもの」ということです。

「人間には表現の自由は与えられているが、
想像する力など与えられてはいない!」

この言葉を言ったのは、下記の確言シリーズにも出演しているさるじぃこと文殊菩薩です。

前の記事に書いたこの言葉には、そういう意味があるということを補足いたしました。

私も最初、さるじぃからこの言葉を言われたときは
カルチャーショックでした。
何故なら、この言葉が事実であるとすると、ある光と闇が現れるからです。

「魔法の国」「おとぎばなしの世界」
「忘れられないほど感動した物語」
「大好きなアニメに出演しているキャラ」

それらが現実に存在している場所がある。
(正確に言うと、須弥山にいるダレカが経験した体験談である)

という胸が躍るようなの喜びがありました。けれどもそれと同時に、

想像し、思い描いて様々な作品を創り上げるアーティストと呼ばれる芸術家達は
皆、自分が想像していると「思い込み」物語と称して本を書いたり、絵を描いたり、
オブジェを創作したり、曲をつくったりしているということになります。
けれども、「それは現実にあるものだ。記憶がそれを映し出しただけ」
言われたら・・・・・
「自分が描いているのではなく、描かされているんだ」私は、そう思いました。

複雑な思いでした。

その言葉を聞いて私はある時、パッタリと夢を見なくなった時期がありました。
絵を描くことも止めました。思い浮かべるという行為自体がイヤになったのです。

悩みました。

そして耳に聞こえる神霊からの言葉でさえもイヤになりました。
その時たまらなくなって、私はさるじぃに向かってこう言ったことがあります。
「今、私の目の前にいるアンタも
私を操り人形扱いしているだけだろう!
もうここへは来ないでくれ、私に何も指図しないでくれ!」


私がそう言ったあと、悲しそうな笑みを浮かべてス-っと消えました。
さるじぃを傷つけたことを解ってはいました。

けれどもその時の私は、自分の思い浮かべる力で描いているのだと思って
描いていたのに、描かされていたんだと感じ、「まるで自分は、道化か操り人形だ」
そう感じて仕方がなかったのです。

まだ成長しきれぬ幼い心と、驕りの気持ちを残していた時期でした。

そんな私に一喝を入れたのが、バクスイことアタバクゲンスイでした。
彼と交わした会話です。



バクスイ「オマエは何か?今まで自分の自尊心で絵を描いてきたのか?
上手ねとか、才能があるとか、自分ってなんてすごいんだろうとかって思いたいわけ?」


「何が言いたい?!」

バクスイ「操り人形だったら何なんだよ!自分が道化みたいっていうんならかわいそうなのか?
あー私は操り人形にされていたんだわ!なんてかわいそうなのかしら私って
悲劇のヒロインにでもなったつもりか、キモチワリー」


「アンタに私の気持ちなんてわかんないよ!」

バクスイ「はぁー?はっ!オマエ今なんて言った?オマエいつもこう言うよな、
アンタに私の気持ちなんて、っていうセリフは地縛霊の言うセリフだって!
今自分が言ったんだぞ!オマエもう今から地縛霊宣言か?」


「だから、何が言いたい」

バクスイ「今オレがこう言ってもオマエ信じないだろうけど、オマエ自分から
メッセンジャー志望してここに来てんだぜ、それをまー自尊心傷つけられたの何だのって
くっだらねぇーことぬかしやがって・・・」


「だったら、どう思えばいいわけ?」

バクスイ「だったら、どう思えばいいわけ?って自分で答えも出せないなら
いつまでも操り人形ですって好きなだけ言ってりゃいいじゃん!それで前に進めるんだったらな!」


「だから、悩んでるんでしょ!ひやかしに来たんなら帰れよ!」

バクスイ「オレだったらな、操りだろうが、
道化だろうが伝えたいことがあるんならバカにされようが、
コケにされようが、胸を張って伝えるね!」


バクスイ「ひとつだけ教えてやるよ、ものを思いイメージを受け取って、何かをつくりあげるってーのは、失くしたく無いものを
残すためにやってんだよ!イミわかるか?
オマエ頭悪いからわかんねーだろ!自分にとって失っては困るもんが何か、
よく考えてみることだな!自分にとっての悲しみは誰にとっても同じ悲しみなんだよ、
だからウソと言われようと、大げさって言われようと誰の目にも止まって、
誰の心にも呼びかけられるもんをつくるんだよ、大事なもん失くさないように本当の幸せをつかむ為にな!
オレだってさるじぃだってお前たち生きてる連中みんな同じなんだよ!
大切なもんは誰だって失くしたくないだろ!!
一流って呼ばれる連中はな、失くしたものが大きいんだよ!
オマエなんかとはくらべもんになんねーほど気合いが違うんだよ、それだけ気の入れ方がなー!!
だから誰の目でも引くようなもんをつくれるんだよ!大事なもん失くすなよって言うためによ!!
あークソッもう、知るか!」


私に大きな気付きを与えて、怒りながら消えていったバクスイでした。



後でわかったことですが、さるじぃは自分が一番帰りたい時間を
永遠に失った者だと聞かされました。そして、そのさるじぃのポリシーは、
「うそからでもいいから、
誠の幸せをつくるんじゃ!」
です。

失くしたくないものを失くさないように呼びかける為にアーティスト達はここに存在している
神霊たる彼らから私が受け取った私の解釈です。

そのことがきっかけで私はまた、筆をとり始めました。
自分はメッセンジャーであると、胸を張って呼びかける為に




「なのでわたしは、そんなじぶんづくりをこれからもずっとつづけていけたらいいな、とおもいました まる」
   
                                                「作文??」


メッセージを投げかけてくれた友へ感謝☆



お話の内容が「理解できないなぁ~」
というところがあれば、コメントくださいませ♪



透き通るもの達からの確言!メッセージ・・・詳しくは↓クリック
「ウソもホントもとにかく貫け!」 【シバ】
 「死んだ気になりゃ、活きられる。」 【バクスイ】
 「全てがそうとは限らない。」 【カメじぃー】
守る必要無いくらい強い者へと成長させろ、それがホントの守る者。」 【はくりゅう】
「覚悟さえありゃ自由な檻、無けりゃグルグル枠の中。」 【おしょう】
「やさしさって言うのはね、とどめを射してあげる勇気の事よ。」 【マジルおばー】
「下手に出てつけ上がれ。」 【サルじぃー】
「過ぎて後悔したならば、更にとことん過ぎてみろ!」 【げんしきみょうじん】
 

Posted by しりえい at 18:34Comments(32)TrackBack(0)疑問 【メッセージ】
 

2008年01月26日

子羊達の寡黙を打ち破る法 【自分探し】


こうやって、ブログを通して
自分の思いを書いて来て、
最近思うのは、




今日も記事ながいよぉ~~~♪♪♪

私と同じように霊が見えたり

予知するビジョンが見えたり

人生さえも左右するような不思議な夢を見たり、

白昼夢のように、自分の力では意味を理解することができない
ビジョンが常に頭の中に浮かぶ

個人それぞれ、勘のとりかたの差はあるけれども、
強いて言うと、それらはこの世ではまだ認められていない特殊な能力
そういう実際に証明することの出来ない
事柄が、自分の身に起こることに対して困惑し、悩み続けている方々からの
メッセージが非常に多くなっていること。

また、逆に
ブログにコメントを入れたいけれども、自分には、コメントを入れている方たちのような
理解にまで達していないので、(皆さんが、すごすぎて)思いを書き込むことが出来ない。

また、私のように霊を見たり、予見できたりという言わば「ウマリ」のチカラなど
一切もっていない、ということから「能力の無いもの」だからと、コメントを控え
それでも、どうすれば自分が今抱えている現状の苦しみから、脱会できるのか
どうすれば、心の苦しみから解放されるのか、その答えを求め続けている。

そうメッセージを送って来る方々があとをたたなくなっている。

この声は、まさしくかつての自分の声である。
かつて私が心に思い苦しみ、悩み続けた声である。

そう思いました。



証明することの出来ない、得体の知れない不思議な現象を体験し続ける
誰にも話せない精神的苦痛。


自分がおかれている現状、現実の精神的苦痛から自分の方向性の答えを
見出すことが出来ず、心の内に溜め込んで誰かに相談しても
解決にはいたらない。迷子になった心を持つ苦しみ


私はここで、常日頃から言っていることですけれども、あらためて申し上げたいのは

「誰もが同じチカラを持っている」ということです。

本来、能力に「チカラの差」など絶対にありません。

「チガウ」と感じるのは、自分の「ペース」の違いだけです。

人間一人一人魂を成長させる、歩むペースが違うだけです。

マラソンが好きな人、短距離走がむいている人、ウォーキングが好きな人、
自転車に乗って走るのが好きな人、ただのんびりと景色をみながら歩くことが好きな人

人生の歩みのスピードは、千差万別です。

それぞれが、それぞれのペースで歩むから違いを感じているだけです。

周りを見渡して、違いを感じるのは当然です。
けれども、それは絶対に「チカラの差」ではありません。

「別の時間の自分を映し出す自分」は存在しています!が!!
あくまでも、「今いる自分は、自分でしかない、その他に「今いる自分」は存在していません。
自分の人生の歩みは、自分が歩むことの出来るスピードでしか歩めません。

もし、自分のとなりにとても早く魂の成長を見せるものがいたとして
その人と同じスピードになりたいと思うのなら、短期間で慣れない精神的重圧に
心も身体も柔軟に対応できる「免疫」をつけるための「試練」を味合わなければなりません。

今の自分の苦しみからすれば、その「試練」などなんてことないと思うのであれば
人は必然的に「行動」にうつります。

それを証明し、自らを表明した「勇気」を見せ、行動を起こすことが出来たのが
花屋さん改め「修羅さん」です!

この行動こそが、真理を辿ることの出来る覚悟をした者です。

自分の持っているペースを上げる為には、「自らを追い込む」必要があります。

それに耐えるほどの闘志がなければ、ペースを上げたところで先に待っているのは

「精神崩壊」です。(ここ最近急増していると言われています)

これだけのリスクを負う覚悟と内に溜まった「修羅の火」がなければペースを
変えることは、出来ません。

「修羅の火」というのは、何回もこの世に生まれ出てきた自分が、
「心の内で流してきた涙の数」でつくられます。

自分の心の器の中が、この涙でいっぱいになった時、ペースを上げるための覚悟が出来るのです。
そうして、必然的に行動に移り様々な困難から決して逃げる事無く受け入れ、
必ず答えを出せる自分づくりをしていくのです。

それを続けていくうちに、前よりも心の器が大きくなっていることに気がつく時が来ます。
これが、経験知で培われる「魂の成長」です。

簡単に言うと、いやな思いをするとわかってて、飛び込み、いやではなくなる時まで
そこに居ること。

けれども、これは誰にでも起きていることで、心の器がまだ小さい内は気に止める程でもないけれども、
この心の器が大きくなればなるほど中に溜まる涙の重さが変わって行くので
ある時期にこの重さに気付き、苦しみを感じ始めるのです。

その「時期」とは、「大人にならなければならない」と、思った時です。

そして人は大人としての自覚を持つために、社会(この世)というものを学びます。

そうする内に、またある時期が来ると「心のすき間」に気付く時が来ます。

これが、心の器が大きく成長している証拠です。

人はこの魂の成長に気付く事無く、その心のすき間を「空虚」と感じるようになります。

次に必然的に、その「空虚」を埋めるための様々な行動を行います。

ある者は、好きなスポーツであったり、友達と酒をかわしながら、楽しい話をしたり
好きな趣味を見つけては、その「空虚」さを埋めようとします。

その行動を続けているうちの約50パーセントの人達は、ある事に気がつきます。

「ただ、同じことを繰返しているだけで、
心のすき間は全く埋まっていない」
と自分が、
その場しのぎの行動をとっているにしか過ぎない・・・と気付くのです。

ちなみに、それ以外の50パーセントの人は、心のすき間を埋めることに必死になり
「気付く」ことが出来なくなります。(私いわく、中毒患者です)

そうすると、ますます「心の空虚さ」は広がり、どんどん大きくなる一方で
ある時期、とうとう自分のチカラではどうしようもなく抑えることが出来なくなるのです。

この時が、真理に目覚めようとする己のチカラが試される時なのです。

この時期に入ると人は、精神面での学びを得ようという行動に移ります。

はじめて「自分の心」と正面から向き合うところへ導く時期となります。

今の世の中には、精神について行われている事柄の情報がたくさんあります。
ご利益商売、精神哲学の本、占い、霊能者、宗教、カウンセリング、ヒーリングサロン、心療内科

何でもいいから、心を満たすためなら、どんな方法でも試してみるのがまた人間の貪欲でいいところ♪
そこから得る学びもまた、自分が生きるためのエッセンスとなるのでここで生活する分には支障はない。

が、しかしこの時点でマニュアル獲得とはなりますが、魂の成長は全くありません。
何故なら、本当に学ばなければならないものを見落としているからです。

心の成長を空虚と思い込み、そこから逃げ出す方法しか考えなかった者には
目の前にこういった
<ご利益商売、精神哲学の本、占い、霊能者、宗教、カウンセリング、ヒーリングサロン、心療内科>
この世界に存在させて、テストをされているのだということに気付いてください。

それらの業務を行う者達は、かつて同じ苦しみを持っていた先輩です。

そして、真理に辿り着かせる為の「試験管」で在ります。

これらが、この世界に存在している理由は、人を癒すためではありません。
真実に気付いてもらいたくて存在しているのです。

「何に?」「何が真実?」

精神世界を現しているものが真に指し示しているのは、
「何故それが存在しているのかを考えなさい」です。

「お守りを身につけ、自分を守ってもらおう」とは思っても
「何故、お守りと言う物があるんだろう」と考えたことはありますか?
考えてそのルーツ(起源)を辿ってみたことはありますか?
神の教え(人道)を学びます。

「当たっている占い、当たっていない占い」の審議はしても
「何故、その占いはあるのか?」と思ってその占いの根源を
たどってみたことはありますか?
宇宙にある星と、自分の存在の関連性(環の法則)に気付きます。

これら、精神面を潤そうとする働きを持つものを使いこなそうとすることに夢中になり
大切な「考えること」を見落としているのです。

「何故、それが存在しているのか?」

これらの事柄の行き着く先には、必ず現れる共通した言葉が出てきます。何かわかりますか?

それは、「神」という言葉です。

本当に精神的に追い詰められた人間が助けを求めて、必ずといっていいほど呼び叫ぶ「神様」です。

この最終的に辿り着く「神」に気付き、その存在のその答えを追い求め、
答えを出した者に、この「ウマリ」とも「霊感」とも「サイキック」とも
言われるチカラが目覚めるのです。

私は、神の答えは教えません。「神」はマニュアルでは理解できないからです。

これは、自分で経験を積むことによって「理解」することであり、
誰かに教えてもらっただけでは、「理解」などできない仕組みになっています。

だからこそ、神に辿り着くための経験知を積み重ねる為に輪廻転生があるのです。

ひとつだけ神の心を伝えます。

「神」は魂の生まれ出た自分の「実家」であり、自分の「親」です。

この世に生命を維持する為の歴史時間をつくり、その生命を増やすことによって
変化のチカラを生み出す為に神自信がここに降り立ち歩んだ道のりを
我が子である人間が同じように辿る

神にとって人間は「わが子」です。
この世界で生きる人々の「人生」全て、かつて「神々の全てが歩んできた道のり」
だからです。

この世界中の人々の苦しみ痛み全てを経験し、克服してきた存在です。

苦しむ我が子を見続け、助けを呼ぶ我が子の叫びに胸を痛めながら
日夜思いを馳せ、いつの日か立派な大人になって自分のもとに帰ってくるのを
心待ちにしている存在です。

こう思ったことが、あります。

「こんなに苦しんでいるのに、助けてって呼んでいるのに
どうして神様は助けてくれないの?」

この思いは、幼子の思いと一緒で神の目から見た「甘え」でした。

日頃、自分の行いすら人道を正す事の出来ていない俗物思考の幼い精神年齢を持つ我が子に
「甘やかし」はご法度なのです。

何故なら、神々はこの世界で苦しみや痛みを克服する道をもうすでにこの世界にを刻んでいるからです。
答えに辿り着く道はこの世界にちゃんと用意されているのです。
その道にたどり着き、歩めばいいのです。

神様たすけてコールは、「迷子になった子供の泣き声」なのです。

神はとても大きく引いた目で物事を見つめることが出来る存在です。
人の心はまるで、手のひらにのるほどの小さな赤ん坊のように映るそうです。

その「気付き」を持たせる為に、精神世界に働きかける機関が設けられているのです。
けっして、親の七光りを利用しろと、甘やかしているものではありません。

神の道を探し出し、親元に帰りたいと思う方に
私からひとつの自分探しのご提案をさせていただきます。
(必要ないという方は、ここでお引取りを・・・)

この記事を読んでいただいた皆様に私からの質問です。
是非、お答えくださいませ。

心を静めて、呼吸を整え、目を閉じてください。

今、貴方はスサノオの命から、剣を手渡されました。
その剣を見て、その剣に映っているものは、何でしょう?


これは、ある意味心理テストと思われるでしょうが、テストだろうがなんだろうが
自分を理解することが自分家に戻る鍵となるなら、やってやるー!!
と、お思いになられる方はお試しください


ある方からこんなメッセージをいただきました。

今行いました質問は、下記に送られてきたメッセージを元にさせていただきました。
なお、このメッセージはご本人の承諾を得て掲載いたしております。



【メッセージ】

人間は七つの魂を持っていると聞きました。
その七つの魂の??、私の魂は2,4しか残ってなくて
そのままにしていると命も危ぶまれるところだったそうで。。。
‘まぶやーぐみ’をして頂きました。
一昨年の話です。。。

まぶやーぐみをして頂いた後で
声にならない声を聞くことがあって…
それを何回も聞こえる時があり、気になって、
まぶやーぐみをして頂いた方に尋ねてみたところ

『アナタの前世は、○○○○○だったからですよ、そろそろ気付きなさいって言ってるんですよぉ』
…って!

ん~、前世がそうだったからと言って
気付いたところでどうすれば…?

何のメッセージだったのか…未だにわかってません。。。

  

拡大用写真クリック


☆☆ーしりえいですー☆☆

2,4しかマブヤーが残っていなかった・・・
本当ですか?危いですね。

でも、ひとつ疑問に思うのは、何故そんなにたくさんのマブヤーを
落としているのでしょうか?
それに、そこまでマブヤーが落ちていたら、すでに身体に変調を来たしているはずですが
どこかお体を悪くしていらっしゃるんですか?

どの方の判断をお聞きになられたのかは解りませんが
その方から、どうして貴方がマブヤーを落としたのか、
なぜ自分のマブヤーが落ちなければ、ならなかったのか等の
詳細な理由をお聞きになりましたでしょうか?

霊魂の判断をしていただく時は、とことん突っ込んで聞いた方がいいですよ。

というのも、マブヤーを落としてしまうのにも理由(根源)があるからです。

私もそうでしたが、実際のマブヤーウティーは、突然驚いたり、
心霊を目の当たりにした時など(俗に、イチャイカゼ)という理由から
落ちてしまうことが多いと言われていますが、それが引き起こされる根源は、
自分の精神状態「精神の力」にあります。

例え、突然驚いたとしても、皆が皆マブヤーを落としてしまうかと言えば、
実際はそうでもないのです。
(もしそうだとしたら、ダレでも短命になります)
もし、霊を見て落としたのだとしても、相手がそうとう不浄の念を抱いた霊でない限り
そう簡単にはマブヤーは落ちません。
(自分の精神力より、心霊の精神力の方が上回っていたと言う証拠になります)
簡単にいうと自分の魂のチカラが、心霊の魂のチカラに負けたということになります。

つまり、貴方は自分は弱い人間だと思い込んでいるのではないでしょうか?

ひとつ、私の真実をお伝えします。
死んだ人間の魂が、生きている人間の魂に勝ることなど決してないのです。

貴方のマブヤーが、たくさん落ちているということが、
事実だとしたら、きっと何かの理由があるはずです。

今度ハンジヌヤーにいらっしゃる時は、判断をとられる方に
お聞きになってみると良いですよ。

<まぶやーぐみをして頂いた後で、声にならない声を聞くことがあって>
この時点で、どうかお気付きください。

前に聞こえなかったものが
まぶやーぐみをして頂いた後、聞こえるということは、
貴方のマブヤーはある学びを得る為に、落ちたのだと私は思いますよ。
(落ちたマブヤーは、きっと別の次元でいろんな学びをしてきたはずです)

<ある言葉が、何回も聞こえる時があり>
その学びを得た貴方ご自身の声でしょう。

この間、コメントしていただいたことに対して私が貴方に質問した内容に
貴方は、「光が見えた」と、おっしゃいましたが、

私が、(かつて、スサノオご本人が)質問した意味には
「自分を映し出す」という意味があります。

私の主人は、「自分の目が写っている」と答えました。
そうしたら、スサノオは「お前は、真実に導く目を持つ者だ」
そう言いました。

もし、同じように貴方にスサノオが言うのであればきっと
こう言われるのではないかと私は思います。
「お前は、お前の内にこそ光を持つ者である」

今度、判断をとられる方に会われる機会がございましたら
私に、そのようなことを言われましたが・・・とお話になってみては
いかがでしょうか。


【以上が、メッセージのやりとりの内容です】

私の「スサノオの命が持つクサナギの剣」の質問に対して、
少しでも自分探しのひとつの心のキーワードとなり、
魂を成長させるためのお手伝いとなるなら、幸いに存じます。

北谷住民んん~~~こ~い!!早く、ご質問にお答えくださ~~~い♪


お話の内容が「理解できないなぁ~」
というところがあれば、コメントくださいませ♪ 

透き通るもの達からの確言!メッセージ・・・詳しくは↓クリック
「波を待つ、待つひまあるなら波おこせ!」 【カールタイテイ】
「ウソもホントもとにかく貫け!」 【シバ】
 「死んだ気になりゃ、活きられる。」 【バクスイ】
 「全てがそうとは限らない。」 【カメじぃー】
守る必要無いくらい強い者へと成長させろ、それがホントの守る者。」 【はくりゅう】
「覚悟さえありゃ自由な檻、無けりゃグルグル枠の中。」 【おしょう】
「やさしさって言うのはね、とどめを射してあげる勇気の事よ。」 【マジルおばー】
「下手に出てつけ上がれ。」 【サルじぃー】
「過ぎて後悔したならば、更にとことん過ぎてみろ!」 【げんしきみょうじん】
 

Posted by しりえい at 20:06Comments(60)TrackBack(0)疑問 【メッセージ】
 

2008年01月31日

闘志を持って「切磋琢磨」となる仲間達へ

草薙の剣に自らを映し出す
「自分探し」




いろんなご意見がございましたが、
ダントツに多かったのは、「自分が映っている」でした。
(中にはもうすでに探さずとも、心と共に生きる方々もいらっしゃるようで・・・)

ちゃんと、ご自分を見つめて歩む方々を、
私はこれからも、応援していきたいです。

私もまた、皆様から「生きる力」を気付かせていただいたことに感謝いたします。
コメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。

ちなみに、

私は、剣を手に取ろうとした段階で、剣がフッと消え、そしてまた、目の前に現れ
また消えては現れ、次第にむかっ腹が立ち意地になって
追いかけましたが、結局手に取ることすら出来ませんでした・・・・・・
娘に「なんでだろぉ~・・・」と、聞いたら
「お母さん、剣にもてあそばれてるんだよ♪」

そう、言われました・・・・・・・・・けっこうショックでした・・・

とにかく!

自分探しをはじめ、自分と向き合い、心と話をしながら歩んでいく人生という旅、
その中で得る経験は、豊かな心を育てる学びとなり、魂を成長させていきます。

その心の成長に最も必要で、決して避けてはいけない心の中にある影、
ダークサイドと言われる部分は、触れてはならない部分として心の奥深く眠らされ
タブー視されることの多い心の一部分です。

けれども前回からとり上げている、この心の影、闇の部分に触れる事によって引き起こされる感情は、
いかなるものであるのかを自分自身の心の目を使い、しっかりと見つめることで、
自分という人間を別の角度からとらえ「自分を客観視」することが出来るはずです。

自分の心の中にある「ダークサイド」を客観視して見た場合、
その心の目で見たダークサイドはどんなふうに見えたでしょうか?

何も映ること無い空気の様な「風」を感じましたか

「靄」がかった様なものだったでしょうか

大気の如く空の「雲」の様でしたか

小さな氷の摩擦で出来る「雷」の如くであったでしょうか

土砂降りの洪水を引き起こす「雨水」の様でしょうか

大地を埋め尽くす時もある「雪」の様に見えましたか

氷に閉ざされたこの星の極のある「氷」の様でしたか

時に津波を起こす「海」の様だったでしょうか

「火」の如く燃えるものだったでしょうか

「炎」の如く燃え盛るものであったでしょうか

地下層でたまる真っ黒なドロドロした「原油」の様でしょうか

「マグマ」の如く煮えたぎるものであったでしょうか

地核層の周辺にある大量の宝石の「原石」の様でしょうか

この星の命の源となっている「核」の様に見えましたか

重密度な「星」の如く光っているものだったでしょうか


心の中のダークサイドと言われる部分には、とても強い思いが刻まれています。

その影や闇となっている「とても強い思い」を解りやすく表現するとしたら、
上記の様に、この地球に存在する「自然界の情景」に置き換えて表現すると、
解りやすく感じられました。

自然が見せる情景は、とても美しいものです。
ですが、時としてたくさんの命をも奪ってしまう程の「牙」を向けることがあるのも
この「自然」です。



心の中のダークサイドを例えて表現した「自然」は、全て私達が生活する上で
とても大切な「エネルギー」を作り出す「原料」でもあります。

心もまた、この星と同じエネルギーを持っていると、私はそう感じてなりません。

もし、心のダークサイドにあるものが、自然のエネルギーと同じであるなら
生も死も司るチカラを持っているということになります。

その生死を司るチカラは、誰の中にも芽生えるものだとしたら・・・

「美しい」ものとするか、 「牙」とするかは自分次第だということになる。
私はかつてそう考えたことがありました。(20年ぐらい前ですかね)

エネルギーを向ける矛先次第で「美」「牙」かに変わるのだとしたら
むろん私は、「美」でありたいと選択しました。
ダークサイドのエネルギーの矛先を自分以外の誰かに向ければ、
それは目に見えない「牙」となり、その相手を不幸に落としいれることに繋がるからです。

昔からのことわざにもあります、「人を呪わば、穴二つ」そう言われているように
向けた牙は自分が向けたエネルギー分、必ず自分に返ってくるのは確かです。

これも闇の心の働きと同じように、どんどん大きくなってやがては「戦争」となるのです。

だから、この世には煩悩となる「カルマ」があるのです。

本当に心の闇を「美」に変え、煩悩となるカルマを解決するためには、
牙を自分への「闘志」として活用していかなければならないのです。

決して外へ向ける事無く、己のチカラとして変換させなければ、いつまでたっても
同じ事を繰返し、自分以外の者との戦いを続けるだけです。

何度輪廻転生しようとも、人の心のダークサイドに、牙がある限り争いはなくなりません。

敵は、外にはいません。
戦うべき相手は自分以外の者ではなく、自分自身なのです。

表面上の美で取り繕っていても、いつかは封印されていたダークサイドの牙が
醜い姿で戦争をしかけます。

生きるエネルギーを生み出している心の闇の奥底に、その醜く牙をむく思いが潜んでいるからです。

そこから目を背ければ、気がつかない内に増大し、この醜い思いが心を蝕んで本当の幸せを
崩壊させる原因となってしまうのです。

人が人を憎めば、連鎖反応を起こし、この世から不幸は永遠に消えないという時間を
くりかえします。
永遠の不幸時間をつくっていくだけだと、私は心霊から聞かされてきました。(カメじぃです)

もし、世界中の人間が、心の中にあるダークサイドを封印することなく、向かい合い
牙を闘志に変えて、各々が争いではなく「切磋琢磨し合える仲」になることが出来るのなら
この世から最大の悲しみを生み出すカルマの元となる「戦争」は無くなり、
本当の「平和」な世の中で、人々は心から幸福と言える暮らしを送ることが出来るのではないか
私はそう思いました。

そろそろ自分自身の「心の終戦」を迎えるべきではないでしょうか。

だからこそ、私はこの生まれ持った
奇妙な力を使って、そこから得た内容を伝える
メッセンジャーとして
このブログ記事を書いています。

戦いというものが、この世界から消えて欲しいと
心から願うのは、私だけではないはずです。

心からそれを願うのなら、まずは自分の心の中にある闇「修羅の火」「闘志」に変えなければ
争いの火種はいつまでも、この世界でくすぶり続け、また悲しい戦を引き起こすでしょう。

私は前回の記事において、あえてそのダークサイドの部分に
「修羅の火」と呼び、その確信を突くべく私自身を的にして見ました。
そして、この記事を読んでくれた方々の心の奥に眠るものに対して言魂を投げかけました。

私が心の闇に「修羅の火」と呼ぶのには理由があります。
決して、言葉遊びなどではありません。

修羅とは「阿修羅」のことです。

天界の仏法を守護する者といわれています。
西洋では、セラビムとも呼ばれているものです。

この阿修羅が指し示す働きこそが
「切磋琢磨」なのです。

心の中のダークサイドをつくる阿修羅を悪と
感じるものも多いでしょうが、阿修羅が悪ではなく、人間の心が阿修羅本来の意味を忘れ、
戦神と変化させてしまいました。

何故なら、阿修羅は最後の人間の子供だったからです。

強いて言うと全人類の「心」を結集したものです。

阿修羅は全ての人の心の中にいます。
それは、阿修羅が私達人間の全てをひとつにした存在だからです。

この阿修羅こそが、時間の最後と最初をつなぐ架け橋となる
「希望」であり起源なのです。


阿修羅の火は、本来生きる力となる闘志を生み出す切磋琢磨となる働きを持っていたことを
人の心が忘れてしまったのです。

かつて、神に戦いを挑んだ者と言われています。
罰当たりな無骨者として、また悪役として
仏教などでは帝釈天とその眷属に倒された者と言われています。

真実はどこにあるのでしょう?
普通、原因があり、理由があって、憎しみを感じ、耐えられなくなり戦いを挑むものです。

原因も理由も無く、いたずらに神に楯突くのでしょうか?
仏教に関する書籍は、たくさんありますが、どの文献を読んでも
阿修羅が神に戦を挑んだ理由が記載されていません・・・・・

つづく 【阿修羅!】


透き通るもの達からの確言!メッセージ・・・詳しくは↓クリック
「波を待つ、待つひまあるなら波おこせ!」 【カールタイテイ】
「ウソもホントもとにかく貫け!」 【シバ】
 「死んだ気になりゃ、活きられる。」 【バクスイ】
 「全てがそうとは限らない。」 【カメじぃー】
守る必要無いくらい強い者へと成長させろ、それがホントの守る者。」 【はくりゅう】
「覚悟さえありゃ自由な檻、無けりゃグルグル枠の中。」 【おしょう】
「やさしさって言うのはね、とどめを射してあげる勇気の事よ。」 【マジルおばー】
「下手に出てつけ上がれ。」 【サルじぃー】
「過ぎて後悔したならば、更にとことん過ぎてみろ!」 【げんしきみょうじん】
 

Posted by しりえい at 12:31Comments(30)TrackBack(0)疑問 【メッセージ】
 

2008年06月27日

柄にもナイ・・・かもな「詩」



何となくスーっと
降りてきたので珍しく、
詩のようなものを書いてみました。

題名「逆転」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は信じない、
   永遠の別れが来ることを
私は信じない、
   「どうせこんなもんだよ」ということを
私は信じない、
   「幸せになんか、なれない」ということを
私は信じない、
   「全てが変わっていく」ことを
私は信じない、
   「ずっと同じ」であることを
私は信じない、
   「無駄な努力だ」ということを
私は信じない、
   「この世界だけが全てだ」ということを
私は信じない、
   「神など何処にもいない」ということを
私は信じない、
   「生まれてこなければ良かった」ということを
私が信じないのは恐いから、
   信じる心を無くしてしまうのがとても恐いから、
     だから信じない心も残しておこう
        臆病な自分に負けたくないから・・・・・



私は、まどろむ習性を持ち合わせてはいない無粋者なのですが、
何故か頭の中にスーーっと流れ込んできた「詩」のような言葉です。

書いてから何となく思ったんですが、
文章が妙に逆転というか、tormadoされているというか
読んでいる内に頭があれれ~???って感じになり、



信じてるって書いたほうが解りやすいよ~~って思いました☆

誰ですかぁ~~詩を書いて送って来た人はぁ~~~?

私が書いたのかな~?・・・・・
ナーベーラーんぶさー作りながら?
豆腐そろそろ来る頃だよな~って思いながら?

なーべーらー(へちまです♪)

だったらさ~☆もうちょっとさ~、浸れる環境ってやつ設定してよ~~!!
ワイン片手にとか、ジャズがバックで流れてるとか~☆
聞こえてるそばから「お母さ~ん、うんこしたよ~ジャーしてもい~い?」はねぇだろうよ~~☆
・・・って、誰に言ってんだろー・・・・・ヤーマのバカ・・・やつあたりしてこよ~っと♪♪






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Posted by しりえい at 08:09Comments(37)TrackBack(1)疑問 【メッセージ】